ニュースリリース

2019.11.15

「慶応義塾の目的」と呼ばれる福澤諭吉の言葉

 「慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言ふのみにあらず、躬行実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり」

※居家(こけ、きょか):家にあって,職業をもち,家庭生活を営む人,またはその状態をさす。俗人,在家人ともいう。出家に対する語。(株式会社平凡社の世界大百科事典 第2版より)

 明治29年(1896)11月1日に芝の紅葉館で慶應義塾出身の皆さんの懐旧会があり、そこでの福澤先生の演説の結びの言葉とのこと。
 この言葉に続けて、「今日この席の好機会に恰(あたか)も遺言の如くにして之を諸君に嘱托するものなり」とおっしゃられたようで、門下生にその志を託した「慶應義塾の目的」と呼ばれています。
 
 ある慶應大学OBがこの言葉を引用して、「現状肯定ではなく、より良い社会をめざす気風が慶応義塾に流れている」と述べられ、感銘を受けました。
  
※芝の紅葉館:1881年(明治14年)2月15日に、300名限定の会員制料亭として設立され、豪商・中沢彦吉等が社長を務めた。1890年(明治23年)に鹿鳴館がわずか7年で消滅した後は、条約改正を睨んだ外国人接待の場、政治家・実業家・文人・華族・軍人の社交場として使われ、東京名所図会や東京銘勝会にも収録された。
近くに水交社があったため、海軍関係者が頻繁に利用していた。
1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲で焼失し、64年の歴史に終止符を打った。4600坪に達した広大な敷地は日本電波塔株式会社に売却され、跡地には東京タワーが立っている。
※中沢 彦吉(なかざわ ひこきち):天保10年(1839年)2月27日 ~ 明治45年(1912年)5月6日。幕末・明治時代の政治家、実業家。衆議院議員、東京市会議長等を歴任。中沢銀行と八十四銀行を創立した。
(ともにウィキペディアより)
  

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